昭和54年6月10日  月次祭                                                             教祖様は、お道の信心を信心じゃと仰せられた。信心というのは神人ぞと仰せられた..ね普通では、あー 信ずると書きますね...んー お道の信心は、神人ぞと 神様と人とが一体になってそこから産み成して行く世界 それを私は合楽世界だと思います。
先日、聞かせて頂いた話ですけども..ん..合楽と言う言葉が教祖様の書き残された物の中にも、有るという大発見をしましてね。 そして 先日、その事 私に話してくださった方が有るんですけども、信心と言うても ほなら 神と人とが一つになるそこから合楽し合える世界があり いうなら 産み成される世界がお陰の世界がなんです...ね。金光
様の御信心はここん所を焦点にして 信心の稽古をさせて頂くと狂いが有りません 間違いがありませんねぇ。                               昨日、福岡の稲かずという婦人 熱心な婦人婦人がおられます。にし婦人会の会長をしておられます。非常に変わった信心をされます。                   昨日、電話が掛かってまいりまして 今朝方 とにかく有り難いお夢と思いますけれども まあ どいうことか解りません。こういうお夢でしたというて 夢のお届けがございました。この方 もう沢山の財産がありますし、沢山の宝石を持って居られますから  もう 本当にびっくりするように沢山 例えば あー ヒスイならヒスイの首飾りば こんなもんじゃ有るじゃろうかというごと 大きなのがね 首が重とうなるごと掛けて来なさいますです....ねぇ.. その方が頂いとるそのお夢が、太陽の中にね 自分の一番大事にしておる大きなダイヤの指輪がね、太陽の中心に目掛けて入っていく所を頂いたとこう 太陽のね中心に自分の一番大切にしておる その宝石がね 太陽の中心に入って行く 所を頂いた そして、横に[写真]と書いてあった。写真という字はね、真を写すと書いてありますでしょうがね、                             神と人とが一つになる 私はダイヤモンドということは まあ一番大切な物でしょうけども それよりももつと大切な宝は、私共の心ですよね、もう先日から頂きます 四つの宝と 仏教では三宝様とこういう、仏法僧ということですよね。            仏様大事..ね 教えが大事..それを説くお坊さんがもう宝だとこう言うのです..ねぇ.. それに 私は心が入るんだと だから四つの宝という事に成ります。しかもその宝の中でも その心ほど素晴らしい宝は もう又とないというのです。心は宝 処がです、もう 人間殆どの人が、その宝を宝たらしめきらずに いうならば、宝の持ち腐れにしておるということでございますね、その心を宝とするということになると 人間の幸せの条件の全てがね、それこそ どういう素晴らしいダイヤモンドで有ろうがね、金銀をちりばめた 宝石であろうがね、いうならば 心次第で必要であるならば集まって来るものであるという事なんですから 心ほど素晴らしい宝はないのだけれども その宝をお粗末にするね
どういう事がお粗末になると思うですか...ね。心を切り刻むするようにして、殺してしまう...ねっ、破壊するんです。ですから御蔭もやっぱり崩れてしまうわけ..ね、えー  教祖様が教えれられる信心とは 神と人とがひとつに成るという事は、人間の心と神の心とが一つになるという事だと私は思います...ね 一体になるのです。        今日は上野先生...上野愛子先生所の、お母さんの十年の式念祭が、もう本当に麗しくお宅で仕えられました。もうお祭りだけではなくて 今度、あすこ「あんたの所の霊祭をする度に美しくなるなあ」と言うて話した事でしたけども 又 立派な放れが出けて もうそれこそ おかしな風な家が出けとります。お庭というのを そりゃ何とも言えんお庭が出けとりますね。「あんたの所は霊祭をする度に美しゅうなるな」と「もう、先生 今日のお祭り、間に合う事も一生懸命 要約 もう昨日までぎりぎり掛かりました。と言うて居られましたが..ね、その霊祭を奉させて頂きました後に、皆さんに聞いて頂いた事でした..ね、今日、私はある方の御取次ぎをさせて頂いて居りましたら、その方が玉串を上げて居る所を頂いた、そして、その玉串にあの紙がついてて しでがついておる しでが取れて しかも逆さまに、こうした所を頂いた 私はその方に くー言おうかと思いましたけれども、これは言うておっても 言うても分らんから祈りよる他にないなあと思うてまあ 申しませんでしたけれど、どうでしょう この榊のここから紙が離れたら..ね   神様が..神が付いておってくださって玉串であるね、しかも それはもう 本当にびっくりするようなお陰受けて居られるんです。けれども もうとにかく 自分のやりようが良かったから、こう云う風に立派になったと言ったような感じなんです...ねぇ けれでもね、私は今日は上野先生の所に まあ..それとよう似たような感じが致しましたから 話した事でしたけれども、教祖様がまだ お百姓をなさっておられる時に..んん..あし..筒臼を使われることになった。これをするのですね 鼻歌交じりで臼を回しておられたら神様からお伝えが遭った。[神が手を離すぞ]ともう途端に重くなったと言われております。 [神が手を貸すぞ]と仰ると もう軽々しくその臼が回って 一日それこそ楽に鼻歌交じりで一日の御用出来たと言うお話が御伝記の中にございます...ねぇ         神様が手を掛けて下さるということと 神様が手を外しなさると言うことは、そんなに違うんですが そういう日々を私共は過ごさせて頂くお陰を頂きたいですね。お願いしたから、お陰を受けたと言うのではいけません。もう何時もがね....            昨日ある方が、今度 御新築が出来たねので なんか 塾をその作りたいから務めを変えてくれと言われる 聞かせて頂いた。そして、それにね 信心の喜びと驚きと書いて差し上げげました。信心の喜びと驚き なのです。もう日々がね もう恐れ入ってしまう。 神様の御働きに 日々恐れ入ってしまう。というその恐れ入った生活 そこに信心の有り難さ 信心の喜びとが一つになつて 私はいく信心生活 そのような信心生活が求められ在るのであり 又私共も そう言う信心を頂いて行きたいと思いますね 神様の心に私共の 一番大切な宝物がこれに入っている。そこに真を移す それはお陰は影のような物でしょうけれども そこにお陰が映じて来ると言うことでございましょう...ねぇ。   今日、親先生の所の二時からの霊祭でした。まあ 今日は、暑つうございましたけれどもその開け広げてございますから涼しいが風が入ってくる。御祈念中に何とも言えん風鈴の音がする。そこに風鈴掛けてあったらしいんです。神様があるの 御霊様がないの あるの、ないのとこう申しますけれど、確かに神様は風のような私は方だと思うんですね、 そこに風鈴が在る。無風状態であり ならチリンとも言わんでしょうね そこに 風がこう吹いてくるから いわゆる妙えなる音色がそこに出てくるようなものであって 私共の心の中に妙なるまでの有り難い心が生じてくるというのは、その風を風と感じるから 神様を神様と感じるから 神様の働きを働きと感じるから 有り難いという その冷風に似た心の状態が生まれてくるのですね。                       信心の喜びと言うのはそう言うもの そこに 私共はそれこそ 恐ろしいまでに神様の働きを感じる。神が手を離すぞとねぇ 神が手を貸すと仰ると楽々じゃ、こういうね 信心を疎かにしては 私は御道の信心のいうなら真髄に触れていかれないと もう 三十年も前の話でしょうか 秋永先生が..ん..私も二人で親教会に 御井教会に参拝させて頂いておる。 帰りに丁度福岡の御大際と言うので あちらあの時分は お野菜一つ買うでも田舎の方から買って持って行かなきゃ出来ません。善導寺の方の あのう ごぼうの産地ですから ごぼうを一輪あのう求められて それを秋永先生に あのう吉木..三代の吉木先生がことずけられた、これ重たいから お土産やけども あんた教会まで持って行って呉れないかと そいで、それを(?)引き受けたわけ、丁度 電車から降りて自分の家までそのう..お..下げていくのに 確かに重いはずの、そのごぼうが一つも重くなかったというのです。それでね それを福岡へあのう持って行ったあげる時に 福岡にある年寄りの先生が居られました。修行生の先生が、で先生に「今日は、大変お陰を頂きましてね、ごぼうのこの重さを感じませんでした。御用ち 有り難いもんですと言う、言うたら、もうそれこそ、カラカラと声を上げて笑われたち 「そげな事があるもんの」ち言わんばかりにして笑われた。もうがっかりしたと言うてね、秋永先生が言ったことを、私が今日は ふっとこう思い出して頂いた。有るんです 神様が持ってくださるです。神様が手を添えてくださると そういう働きが起こって来るんです...ね、それがね 私が信心させて頂く者のね いわば それこそ恐ろしいまでの有り難さだと言うふうに思います。     信心のある者と ない者の違いということをですね。昨日の、朝のご理解だったでしょうかね、神様は荒地荒れ屋敷をお嫌いなさると仰せられるね、荒地荒れ屋敷をお嫌いなさる そんならば見事に耕かされて 見事に肥料が施されて 何をまいてもそこにおえてくるような土地ならば 神様がお嫌いなさるの反対で 神様がお好きになると言うことに成るのじゃないでしょうか。お互いの心も同じこと 神様がお嫌いなさるというような信心心ではお陰は受けられません。神様がもう本当に惚れ惚れとして見なさるような心の状態を目指させて頂く事が信心なんですね、だから、心が荒地荒れ屋敷であっては神様がお嫌いなさると言われるのですから、まず私は神様に好かれる私に成らなければならないと言うのですねぇ...そこに教えの鏡があるね。日々 自分の心を教えの鏡に照らしてね、それこそ 神様に好かれる私になる精進を指して貰う、好かれただけではいかん、そこから
 神様に喜ばれる信心にならせて貰う そこから いよいよ信心にならせて貰う そこからいよいよ合楽世界が生まれて来るんです。神様にそれこそ好かれるね、        私は二、三日前 座っておりましたら そこの うー石庭が あそこに天地書附が排斥してあるんです。そこへ出るように頂きますから そこへ腰掛けてから何気なしにこう..おー..その天地書附それを..はー..生神金光大神 真中の大きな岩が天地金乃神 その横にあるのが一心に願え お陰は和賀心にありと言う こう その石をずーと頂くんですよはあ、ここは、天地書附を排斥してあるんです...ねぇ...そしたらね 【好いたすいせん、好かれた柳】という事を頂いた。これ 何か歌の文句に有ります..ね..好いたすいせん 好かれた柳..ね 好かれるという事は 私は何処までも柳のように..ね、 素直な心だとこう思います。「それいけないぞ」と言うたら「はい」と言うて改められる..ね。    そこは、「曲がっとじゃないか」と言うて「はい」というて真っ直ぐにしていけれる。素直心にて 雲の上まで登る道ありとあるが、確かにそうだと思います。神様と一体になって行く。その家庭にね 私共はいよいよ素直心を、目指させて頂かなければなりません...ね...私共の心が、荒地荒屋敷 心が荒れておってはと言うのは 心に腹だたしい物を感じる、不平が出る 不足が出る もう心が荒れて行来よるとです...ね。というてもこれが、腹立てずにおられない。不足言わにゃ居られない そのおられない所を修行するのが信心だと、ここでは 土の信心という事を言われますが..ね 土の信心のその前提
土の信心が分かったらもうそれこそ黙って治めるという事は、もう有り難くなってくる筈なんですね...あその前提としてです、私は「言いたい事は、明日言え」というような修行がいると思うです。 たった一日間修行するだけ、そりゃもう 言うとかにゃ 言うとかにゃというて、爆発するんじゃなくてね。言いたいことは明日い言う、言いたいけれども それを言うならば明日言うことに決める。そぅすっと、不思議に明日は言わんで済むようになっているです。はあー すて..言わんでおいて良かった。黙って居ると言う事がこんなにも有難いもんだという事が分かって来る そこから土の信心に入って行く訳..ね。土の信心に入っていく 私はそういう家庭が修行だ 【人間は土よりい出て 土に帰る】と言われるのですから その道中とても土の生き方 土の心になる事に極まったと、   土の心でやらせて貰う所に 天地と一体に成れる世界が有るんですね。 素直な心ね。美しい心..ね。土の心 神様と一体に成れる そこから写し出せる 云うならば写真   真を写す所のお陰が、私共の云うならお陰の世界。生み成されてくる世界。信心の世界神人の 此の方の信心は、神人ぞと教えられるね。お互いにその神人を目指さなければいけません。                                    昨日、一昨日私部屋を出て参ります時に必ず あー 床の間に向かってお礼を申させて貰います。今、鉄斎が書きました あー軸が掛かって居ります。その真中【神に至る】 とと書いてある所を頂いた 神に至るということ..ね。その日の研修の時に親先生は神に至られたと、(笑い)云う事をね、発表 そげな事言いどんしなさんな 私がまるきり神様に成ったごたある。そげな事言いよるけん問題になるとばいと云うて話した事でしたけどね。その神様に向かってね 進んでいっておるという事は間違いないです...ね。いわゆる神様と一体に成らせて頂けるところの信心師匠 それにはどうでも土の信心に..を極めていかなきゃ成らないというな、美しく成らせて頂くことに精進、焦点を置かなければならないもう問題が もう問題でない程しのお陰を頂かなければならない。         今日は、ん..本部のお祭りに若先生がお陰を頂いて、今日帰ってまいりました。ほいで、この 今先 お祭り前に会いましたんですけど、今日は、今度大変お陰を頂いて帰って参りました。もう一言、二言じゃ有りませんけれどもと言うてかいつまんで、まあ一言、二言お届けするんですけども もう、今度は合楽の一つの反響というものが、非常に教団の上に大きく響いていおる。それが 今までは悪い方だったけれども、今度は良い方に響ておる。第一 あちらの何ですか、広島の上辺りの地区の方達がこちらに研修に来たい。   四国では、「合楽に修行に行来たい 合楽に修行に行来たい」と言う先生が大変増えて来た。そこで、それが問題になって、結局あちらの連合会がね 一々許可をして合楽に修行に行く事を認めること事になったという話しを聞いてきた..ね。連合会の先生のいうならば認めを貰う 認めてもろうて合楽に修行に来るという...ね そして合楽で何を修行するかというと信心を目指させて頂く稽古なのです。そして 信心というものがです..ねいうならば 合楽し合える世界という事を体験することを覚えて帰るのです。そこから 産みなされる世界を私は、金光大神の世界だという風に思うんです...ね。私共は、金光教の信心をさせて頂くのですから、いわゆる 金光大神の世界に住みたい...ね。それにはね 私 ただ今申しますようなね。太陽の中にね 自分の一番大切な物が入って行くと言うような修行が要るんじゃないでしょうか...ね。自分の大切な物というのは 必ず心がけじゃありませんけれども、その宝の第一は いうならば心であります...ね。    えー 今日の..おー..御理解でしたかね。ん...地獄の沙汰も金次第という。けれども極楽の沙汰というものは、 金次第という訳にはいかん。というようなご理解をここで頂きます。なるほど 極楽の沙汰は、金次第で行くまいけれども、金次第 いわば 地獄の沙汰は金次第と言うことが出来る。いうなら地獄の苦しみから 一寸 助けた貰うだけは出ける。今日 私御心眼に、柱にこういつけられてるんですよ。あっと こゃっと 後ろで縛られて そして足で、足をバタバタさせてね 苦しんでおる様子を頂いたんですけれどもね、もう殆どの人間がそうじゃないだろうかとこう思うんですね。        自分の思う様にならない。歯痒いという訳なんです..ね だから そういう時にはですねいうならば、それこそ 地獄の沙汰も金次第ですからね。それこそ【天地に対する還元】ということを今日は頂いたんですけども、天地に対する思い切った還元でも出来る。しかも、なら合楽建設なら合楽建設に架ける。合楽建設というのは、いうならば合楽世界の顕現である。天地金乃神様の願いが、ここ合楽の里に言うならば建設されておるのです。だからそこへ以って行く いうならば お陰を頂いたら..ね。それこそ地獄の沙汰も金次第と言うお陰が受けられる。こう云う事実はもういくらもあるです。もう 出けんはずの試験が出来ると。もう 医者がだめだと言った病人が助かる。そう云う事、やっぱりね。思い切って ほなら、お供えさせて頂くと助かるです。やっぱり地獄の沙汰も金次第と云う事が分かります..ね。けど今日皆さんに聞いて頂いたのはね。もうとに角ね 極楽の沙汰だけは金次第という訳にはいかんね。これを自分達が日々徳を積んでいく以外にはない。 いうならば信心を目指す以外にはない。神人目指す以外にはないね、そして、神と私共のいうなら神に、好かれて喜ばれる信心をさせて頂く以外にはないね。好かれる事にまずそして、喜ばれる信心にならせて頂く以外にはない。そこから信心 いわば合楽し合える世界が、金光大神の世界だという用な事を まあ今日は聞いて頂いたんです..ね。    いうならば そういう世界を目指す神に至る。至っておりませんけれども 神に至る事を願いとしての信心...ね。変わって参ります。願いがね そういう尊い 本当の所へ置かれる事になりますと、出来なくても出来たかのようにして、おかげを頂くのです..ね。そこから、それこそ神様から、なぜさすりされるようなね、先日の御理解の中にございましたようにね、もう 神様のお陰を頂くより他に手はないという心の状態になって来ることなんです。いいや、 私がするという所には、私が建てたことに成り、 私が造った事ということにになるのです。神様のお陰を頂くより他に手はない、手偏にないと書いて撫でるとある..ね。手偏に無と書いたら撫でるという字になる。 神様から撫でさせされてるような実感、信心の喜び、そして信心の いうならば 驚き感じさせて頂けるほどしの信心を目指してお陰を頂ていきたいと思います......どうぞ